張禧嬪(チャン・ヒビン)がついに王妃に成り上がった日!(再読版)

高官たちの反対

1689年5月6日、粛宗は数名の高官を集めて重大な発表を行なった。その中には、領議政(ヨンイジョン/総理大臣に相当する)の権大運(クォン・デウン)もいた。
まず、粛宗はこう切り出した。
「今、中宮がいないのだが、1日でも早く新しい中宮を決めなければいけないと思わないか? 張禧嬪は良家に生まれ、宮中に入ってからも徳を積み、一国の母になるのにふさわしいと思う。よって、王妃にしたいので、礼節にのっとってすぐに実行せよ」
高官たちはお互いに顔を見合わせ、困惑した表情を浮かべた。高官を代表して権大運が口を開いた。
「すでに殿下がお決めになったことですから、下にいる者たちがどうして違う意見を述べることができましょうか。とはいえ、あまりに重大なことですから、品階が二品以上の者たちを集めるのが適当かと思われます」
権大運が言った「二品以上の者たち」というのは、国の重要な政策に関与する大臣級の高官をさしている。




しかし、粛宗は急に怒りだして、権大運をにらんだ。彼は側近たちの言葉にいちいち喜怒哀楽をはっきり表す性格だった。
「大勢で議論しようというのか」
粛宗の怒気を含んだ問い掛けに対して高官たちも負けずに反論した。
最終的には、粛宗も折れるしかなかった。彼は即座に二品以上の高官たちを招集した。その席で権大運は粛宗に尋ねた。
「殿下はいつ頃新しい王妃をお決めになりたいのですか」
「すでに暦を調べてある。まさに今日が吉日なのだ」
粛宗のせっかちな性格に、高官たちも困惑するばかりだった。
彼らにしてみれば、歴代王の前例を詳しく調べてから新しい王妃の決定を礼節にのっとって行ないたかったのだが、粛宗は自分に都合がいいように即決でことを運ぼうとしていた。




秩序を乱しているのは粛宗のほうなのだが、王である以上は最後に臣下たちも従わなければならなかった。
こうして、粛宗の思惑どおりに、張禧嬪の王妃昇格が決まった。
念願の王妃になった張禧嬪。ここぞとばかりに、贅沢三昧(ぜいたくざんまい)の日々を過ごした。
彼女の兄の張希載(チャン・ヒジェ)も大出世し、この兄妹は「この世の春」を大いに満喫した。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

張禧嬪について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著〔実業之日本社/900円+税〕)

康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』

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