『雲が描いた月明り』が韓国で大ヒットしたおかげで、韓国ですっかり有名になった歴史上の人物が、イ・ヨンという名前だった孝明世子(ヒョミョンセジャ)だ。実在した彼は、1809年に生まれて、1830年に亡くなっている。
名君になれる逸材だった
孝明世子はとても優秀な世子だった。
しかし、王にならないままに21歳の若さで亡くなっているので、歴史的に語れる物語が少なかった。
そんな孝明世子を主人公のモデルにして『雲が描いた月明り』は作られているが、もともとはWEB小説が原作ということで、歴史的な事実にかなりフィクションが加えられている。
果たして、孝明世子はどんな青年だったのだろうか。
父の純祖(スンジョ)に代わって18歳で代理聴政(テリチョンジョン/摂政のこと)をして大きな実績を作り、国王になったら名君になるのは間違いないと思われていた。
それなのに、わずか21歳で急死してしまい、孝明世子が国王になる姿を見ることはできなかった。
そのことが本当に残念であった。
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孝明世子(ヒョミョンセジャ/名はイ・ヨン)はどれほど優秀だったのか?
イ・ヨン/孝明世子(ヒョミョンセジャ)はどのように亡くなったのか
イ・ヨン(孝明世子)が主役の『雲が描いた月明り』は史実とどう違う?
〔話題〕イ・ヨン(孝明世子)に代表される世子(セジャ)とは何か?