ドラマ『華政』(ファジョン)の主人公になっている貞明(チョンミョン)公主(コンジュ)。王である仁祖(インジョ)に歯向かう勝ち気な女性として描かれているが、実際の貞明公主はどんな女性だったのだろうか。
公主と翁主
王女にも2種類がある。
王の正室から生まれた王女は「公主」と呼ばれ、王の側室から生まれた王女は「翁主(オンジュ)」と呼ばれた。
公主と翁主では、格がまるで違う。
それだけ、王族の中でも公主は一目置かれる。
ちなみに、王子にも2種類あって、王の正室から生まれた王子は「大君(テグン)」と呼ばれ、王の側室から生まれた王子は「君(クン)」と呼ばれた。
名前からして、光海君(クァンヘグン)が王の側室から生まれたことがわかる。
王子であれば、王位の継承権を得られる場合があるが、王女ならば絶対に継承権を得られない。
普通の王女は、10代なかばまでに名家の御曹司と結婚して、王宮の外で静かに暮らすというのが通常のしきたりだった。
しかし、貞明公主の場合はかなり異例だった。
彼女は10代のほとんどが軟禁状態になっていた。光海君によって、母の仁穆(インモク)王后と一緒に離宮に幽閉されたからだ。
1623年、光海君が廃位となって仁祖が即位したことで、仁穆王后と貞明公主の幽閉が解かれた。
そのときに、貞明公主は20歳になっていた。
王女としては完全に婚期が遅れてしまっていた。それも、幽閉されていたので仕方がなかった。
あせりを感じた母の仁穆王后は、必死の思いで婿を探し、貞明公主はようやく3歳年下の洪柱元(ホン・ジュウォン)と結婚することができた。
さらに、貞明公主は豪華な屋敷と広大な土地を与えられ、結婚後は王宮の外で裕福な暮らしを享受することができた。
しかし、仁穆王后が1632年に亡くなったあと、仁祖が手のひらを返して冷たくなってしまった。
そのせいで、貞明公主は陰謀によって処罰される危機を迎えながら、最後は「公主」という立場が効いて、無事に人生を全うすることができた。
夫の洪柱元との間にもうけた子供は7男1女だった。貞明公主は8人の子供の母であったのだ。
1682年、79歳になった貞明公主は息子たちに一つの文書を残している。それは、貞明公主が長い人生の中で身につけた「生きる知恵」であった。
貞明公主が息子に残した文書には次のように書かれてあった。
「私が願うのは、お前たちが他人の過ちを聞いたときに、まるで父母の名前を聞いたときのように耳だけにおさめて、口では言わないということだ。他人の長所や短所を取り上げるのが好きだったり、政治や法令を途方もなく言い争ったり……そんなことはとても憎むべきことである。さらには、死んだあとであっても、子孫の間でそんな行ないが起こったとは聞きたくない」
要約すれば、「人の悪口を言わない」「人の欠点をあげつらうな」「政治や法律で言い争うな」「子孫たちが仲良く暮らすように」ということだろう。
貞明公主の人生には苦難が多かった。その中で、彼女は必死に耐えて正しく生きてきた。そのことを彼女は子供たちに伝えたかったのだろう。
結局、貞明公主は控えめだが、芯の強い女性だった。
彼女は、1685年に82歳で亡くなっている。
文=康 熙奉(カン ヒボン)