王としての統治能力
クーデターで王宮を追われた光海君であったが、彼の統治能力は名君に匹敵(ひってき)するほどであった。
特に重要なのは、庶民の減税につながる税制を改革しようとしたことだ。
それ以前に光海君のように考えた王はいなかった。
また、強大な後金からの侵攻を防ぐために、光海君はうまく後金を手なずける戦略を実行していた。
彼には、王位を守る過程で兄や異母弟を殺害しているという汚点があったのだが、それも光海君の側近たちが過剰な自己防衛で行なったことだった。
もちろん、最終責任は光海君にあるとはいえ、彼自身が血も涙もない人物だったわけではない。
いわば、骨肉の争いを起こしたというマイナス面はあるにしても、王としての統治能力に関しては光海君も文句なしであった。
一方の仁祖は、王になってからは失政だらけだった。
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光海君(クァンヘグン)の末路!彼は王宮を追放された後にどうなった?
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