そばに仕えた医女は誰?
高官たちは絶対にあきらめなかった。晋城大君に王になってもらわないと、クーデターは失敗も同然だったのだ。
大勢で必死に頭を下げた高官たち。そこまで頼りにされて、晋城大君もようやく説得に応じた。
彼は気が進まないままに仕方なく王宮に入り、臣下たちの拝礼を受けた。
こうして、晋城大君は11代王の中宗(チュンジョン)として即位した。しかし、即位式では王としての正式な冠服を着ていない。準備が間に合わなかったのである。
それでも、王は王である。
彼は中宗として臣下の前で第一声を発した。
「近年、王が道理を失い、民心が窮していたのに余は救済できなかった。しかし、幸福にも文武の臣たちが朝廷と民に対する重責を担い、余が即位することになった」
こう述べた中宗は、大々的な恩赦令を発した。
このようにして中宗の統治が始まった。
彼の在位期間は1506年から1544年までである。この中宗のそばで医女として活躍したのが、『宮廷女官 チャングムの誓い』の主人公になった長今(チャングム)だった。この史実は、韓国時代劇が好きな人なら誰でも知っていることだろう。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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