自己主張の強かった女性
ファン・ジニはどんなに求められようとも、自分が認めた人物としか会おうとしなかった。男尊女卑の朝鮮王朝の中で、自己の主張を通す生きざまは、時代を超えて多くの人々をひきつける。
しかし、自由奔放に生きたファン・ジニの誘惑に一切動じなかった人物がいる。それが当時最高の儒学者だった徐敬徳(ソ・ギョンドク)だ。
ファン・ジニはあらゆる手段を用いて誘惑するが、徐敬徳の深い知性と人柄に逆に惹かれていった。そして、2人は固い絆で結ばれた師弟になったという。
ファン・ジニは徐敬徳から様々なことを学び、妓生でありながら一流の儒学者にまで成長した。
やがて、死を予感した彼女は自分の生き方を真似る女性が出ないように次のような遺言を残したと言われている。
「自分が死んだら死体を棺に入れず、アリやトンビの餌にして、女性たちへの戒めにするように」
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