呆然とする思悼世子(サドセジャ)/朝鮮王朝劇場5

 

思悼世子(サドセジャ)とは誰か?
生没年は1735年~1762年。21代王・英祖(ヨンジョ)の息子で、母は英祖の側室であった映嬪(ヨンビン)・李(イ)氏。思悼世子は幼い頃から頭脳明晰だった。しかし、成人してから素行が悪く、英祖の逆鱗(げきりん)に触れて自決を命じられた。従わなかったので、米びつに閉じ込められて餓死した。

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神童とまで呼ばれた世子

思悼世子に会った。
彼は、昌慶宮(チャンギョングン)の文政殿(ムンジョンジョン)がよく見える林の中で呆然と座り込んでいた。
文政殿といえば、1762年に思悼世子が米びつに閉じ込められて餓死した場所である。もっとも嫌な場所であるはずなのに、その近くで未だにウロチョロしているとはどういうことなのか。そのあたりを率直に聞いてみた。




「本来なら、文政殿は一番嫌な場所じゃないんですか?」
「米びつの中で無念のまま餓死させられた。悔しくて仕方がない。なぜ父上は、あのようにむごいことをしたのか。それがわからないだけに、こうして今でも文政殿が見える場所で呆然と座り込んでいるのだ」
「あなたは、英祖の二男として生まれて世子(セジャ)にもなりました。小さいころから頭脳明晰で、神童とまで呼ばれた人でしたよね」
「そうだったね。10歳のときには王朝の公式会議にも出て、いろいろな改革案を述べたりしたものだよ」
「しかし、そのときに老論派(ノロンパ)を批判してしまって、それで老論派からにらまれたわけですよね」(ページ2に続く)

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