ホ・ジュン(許浚)は名著『東医宝鑑』を書いた真の偉人!

不朽の名著

ホ・ジュンは庶子としては信じられないほどの出世を果たした。
だが、多くの妬みを買ってしまう。
1608年、宣祖が亡くなると、奸臣たちはホ・ジュンの責任を徹底的に追及してきた。当時は、王の死は主治医の責任、とみなされていた。死罪こそ免れたものの、ホ・ジュンは流刑となり失意の日々を過ごした。
ただ、救いの神がいた。宣祖のあとを継いだ15代王の光海君(クァンヘグン)は、若いときから許浚の偉大さをそばで見ており、彼を主治医として宮廷に呼び戻した。
こうして再び研究と執筆に励むようになった許浚は、1610年に『東医宝鑑』を完成させた。
「東医」とは、中国の「漢方」に対して朝鮮固有の医学を意味している。『東医宝鑑』はその題名が示すように、東医の粋を集めた医学書で朝鮮王朝が生んだ大きな文化遺産である。光海君はとても喜び、1613年に活字本として出版され、全土の医療院に配付された。




許浚は「東医宝鑑」を完成させた後も、各地で起こった伝染病の対策用に最良の医学書を記した。また、庶民が読めるようにとハングルでも著書を書いた。
朝鮮王朝の518年間の歴史を見ると、真の三大偉人と言える人物は、ハングルを創製した4代王・世宗(セジョン)、救国の英雄だった李舜臣(イ・スンシン)、そして、ホ・ジュンである。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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