孫は燕山君
垂簾聴政にも別の指南役がいることが高官たちの間で大問題になった。仁粋大妃は批判を受ける形になったが、彼女は強い意思で敵対する勢力をつぶしていった。そのあたりの決断力はまさに“鉄の女”であった。
高い望みを次々に叶えていった仁粋大妃だが、晩年は苦悩が深まった。
暴君として知られる10代王・燕山君(ヨンサングン)は仁粋大妃の孫だが、彼の実母の廃妃・尹(ユン)氏が死罪となったことを恨み、仁粋大妃のせいだと思うようになったのである。
『王と妃』の終盤では、燕山君と仁粋大妃の葛藤が細かく描かれていた。
特に、燕山君が「母の墓前に追悼の酒でも捧げてほしい」と仁粋大妃に命令口調で言うと、彼女が「酒どころか毒薬を捧げてあげようか」と返すところが印象的だ。
この言葉で燕山君は怒り心頭になるのだが、仁粋大妃は堂々としていた。
しかし、現実はどうだったのか。
仁粋大妃は常軌を逸した燕山君から暴行を受けることもあった。それが元で亡くなったというのが通説だ。
栄華を誇った大妃としては、あまりに悲惨な最期であった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』。
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