「朝鮮」という国号
王朝を新たに開くと、太祖には次から次へと欲が出てきた。
「長く続く王朝にしたい。そうなると、気がかりなのが高麗の残党ども……」
太祖は、前王朝の血を根絶することに執念を燃やした。そのために謀略も考えた。
まず、「高麗王の一族に島を一つ与える。そこで安寧に暮らせ」と全土に公示した。おびえて隠れていた一族の人たちは、この言葉を信じ、太祖が用意した船に乗って島をめざした。しかし、船には細工がしてあって、あえなく沈没。乗船した者は全員が溺れ死んでしまった。
まだ山中に隠れていた高麗王の一族は、この出来事で縮み上がった。彼らはもともと「王」という姓だったが、自分の身分を隠すために、「全(チョン)」「田(チョン)」「玉(オク)」などと姓を変えて生き続けた。どの漢字にも「王」の文字が入っているところに、彼らのプライドを感じる。
1393年、新たな王朝づくりを着々と進める太祖は、国号の選定に取り組んだ。古来から由緒ある国名として知られた「朝鮮」と、自分の先祖の出身地にあたる「和寧」の二つを候補にして中国大陸の明におうかがいを立てた。
このあたりは、太祖も相当に明に気をつかっている。その結果、明が推薦してきた「朝鮮」に国号は決まった。
そして、1394年に都を開京から漢陽(ハニャン/現在のソウル)に移し、ここに王朝の基盤は固まった。
一介の兵から王にまで成り上がった太祖だが、その人生は栄光に満ちていただけではなかった。晩年は息子たちが後継者をめぐって骨肉の争いを繰り返し、心を痛めるばかりだった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』。
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