許浚(ホ・ジュン)はどんな人物だったのか

名著『東医宝鑑』

許浚は王から壮大な著作の執筆を命令されたわけですが、この執筆はなかなか進みませんでした。
多忙すぎた許浚には著作に集中する時間がなかったのです。
1608年に宣祖が亡くなりました。
主治医であった許浚は国王の病死の責任を問われ、中央での職を解かれて帰郷処分になります。




官職を得て出世することが栄誉とされた当時としては大変な屈辱ですが、逆に言えばこの期間は“天からの恵み”でした。
というのは、医学書の執筆に費やすことができたのです。その末に1610年に完成させたのが『東医宝鑑』という医学書です。各症状に合わせて治療法が述べられており、当時としては画期的な本でした。
(ページ3に続く)

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