21代王・英祖(ヨンジョ)が歴代王最高齢の82歳で崩御すると、孫のイ・サンが22代王・正祖(チョンジョ)として即位した。その即位は、父の思悼世子(サドセジャ)を死に追いやった政敵の老論派(ノロンパ)との闘いの始まりを意味していた。
大規模な粛清
1776年、即位した正祖が王として最初に放った言葉は、老論派の重臣たちを震え上がらせた。
「寡人(余)は、思悼世子の息子である!」
即位式はドラマ『イ・サン』でも再現されている。同作はフィクションの部分も多いが、この場面は史実通りに構成されている。名君として名高い正祖の誕生は、創作の必要がないほどドラマチックだったのだ。
正祖は、父である思悼世子が亡くなると、罪人の子が王の後継者にはなれないということで、早世していた伯父の孝章世子(ヒョジャンセジャ)の養子になっていた。
にもかかわらず、「思悼世子の息子」と宣言したのは、父を死に追いやった老論派を許さないという決意表明でもあった。
正祖は宣言どおり、老論派への大規模な粛清を開始する。(ページ2に続く)
正祖(チョンジョ)の宿敵だった貞純(チョンスン)王后/悪女たちの朝鮮王朝2