それは1762年のことだった。思悼世子(サドセジャ)が米びつに閉じ込められて餓死する事件が起こった。このとき、思悼世子の息子はどのように動いたのか。時代劇『イ・サン』と史実の世界を比較してみよう。
ドラマはどう描いたか
時代劇『イ・サン』の第1話の冒頭には、思悼世子が米びつに閉じ込められている場面が登場する。
そこに、思悼世子の息子のサン(当時10歳で後の22代王・正祖〔チョンジョ〕)が現れる。
サンは「世子の後継者」という意味の世孫(セソン)という立場なのだが、米びつに近づいてはならないという王命にそむき、危険をかえりみずに父に会いにきた。
サンは米びつの前で悲嘆に暮れる。
「なぜ、このようなことに……。絶対にあってはいけないことです」
すると、米びつの中からかすれた声がする。
「誰がいるのか、世孫なのか」
「はい、サンでございます」
ようやく父と話を交わすことができたが、サンは涙が止まらなかった。
父が尋ねた。
「おまえは無事なのか」
「ええ、父上様」
「それならばいい。もう行きなさい。ここにいてはいけない」(ページ2に続く)
イ・サン(正祖〔チョンジョ〕)が進めた政治改革!朝鮮王朝全史23