正祖を悩ませた宗教問題
正祖が進めた政治は庶民の生活にまで影響を及ぼし、開放的な気分を味わった人々は文芸の面で力を発揮するようになった。歴史的にも、正祖の統治時代は文化が活発な時期と評価されている。
正祖はやがて、ハングルを創製した4代王の世宗(セジョン)と並ぶ名君と言われるほどになった。
しかし、卓越した手腕を発揮した正祖でも頭を悩ませる問題があった。それは全国で起こった天主教(カトリック)の布教である。朝鮮王朝では儒教が国教であり、天主教は異端とされた。
もともと儒教と天主教の教えは正反対のものだ。儒教では王と臣下の縦の繋がりを重要視したが、天主教では神の下で人々は平等だった。そんな天主教を受け入れるということは、王権の弱体化を意味していた。(ページ3に続く)