正祖(チョンジョ)は即位すると、不遇の死を遂げた父・思悼世子(サドセジャ)の名誉回復に全力を注いだ。正祖は父を先王として尊び、後には風水地理的に優れた水原(スウォン)にその墓を移した。
人材の活性化
正祖は、父の墓の格を上げるために、水原に華城(ファソン)という城郭を建設した。現在、華城は世界文化遺産に選ばれて多くの観光客を集めているが、そこは正祖の父への思いが込められた神聖な場所でもある。
また、正祖は父を死に追いやった臣下たちの官職を剥奪して首謀者を厳罰に処した。その代わり、優れた人材を公平に登用した。彼は世孫時代に、身分が低いために出世の道を阻まれている人を数多く見てきた。
こうした弊害を取り除くために、正祖はあえて奎章閣(キュジャンガク)という拠点を作った。
ここはもともと、朝鮮王朝の歴代の資料を保管・整理する図書室だった。この奎章閣を改革して、優れた人材を積極的に集め、高い地位を与えて研究に没頭させた。こうした方針は宮中の活性化に繋がり、人材の育成に大きな力となった。
また、正祖は暗行御史(アメンオサ/全国の役人の不正を暴く捜査官)を積極的に地方に派遣し、各地の問題を直接把握して解決するように努めた。さらに、正祖は英祖が実施した通りの派閥公平人事を行ない、党争の激化を避けた。(ページ2に続く)