評価も時代で変わる
庶民の減税を実現するためには、逆に地主層の税金を上げなければならなかった。これは、既得権層の恨みを買う結果となった。
さまざまな要因が重なり、1623年にクーデターが起きた。
クーデターを起こした仁祖(インジョ)は、光海君に恨みを持つ人々を巧みに集めていた。計画も用意周到だった。
逆に、光海君には落ち度があった。あまりに油断していたのだ。その結果、クーデターの動きを察知できなかった。
歴史的には、光海君は暴君の汚名を浴びてきた。廃位になったので、それも仕方がなかった。
しかし、歴史研究が進むと、少しずつ評価が変わった。光海君の統治能力が見直されるようになったのだ。
光海君は果たして、暴君なのか、名君なのか。
少なくとも、光海君が在位を続けていれば、後に清(後金から国号を変更)に過酷な侵攻を受けることはなかった。そのことは、十分に評価に値する。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
『華政(ファジョン)』解説!仁穆(インモク)王后に恨まれた光海君(クァンヘグン)
光海君(クァンヘグン)と綾陽君(ヌンヤングン)と貞明(チョンミョン)公主