長い間の人質生活によって清に反感を持っていた孝宗(ヒジョン)は、王になるとすぐに清に好感を持つ高官たちを追放した。そして、清がロシアの軍勢に苦しめられているという大義名分を得て、北伐の準備を強行した。
党派の争いが激化
朝鮮王朝の軍事力は格段に上がったが、国民は度重なる増税によって、苦しい生活を余儀なくされた。それでも、孝宗の決意は変わらなかった。
「父上の意思を継いで、必ず清を倒してみせる」
孝宗は北伐への意欲を高めていくのと同時に、権力闘争を厳しく取り締まった。軍事力と政権安定という2つの面で孝宗は成果をあげた。
しかし、孝宗の念願である北伐が実行されることはなかった。なぜなら清もまた、日に日に国力を増大させていたからだ。
1659年、孝宗は即位当時からの目標を果たすことなく、40歳で世を去った。すぐに長男が18代王の顕宗(ヒョンジョン)として即位した。
顕宗はまず、庶民の生活を苦しくさせないために、莫大な資金がかかる北伐計画を中断した。こうすることで民心は次第に安定を取り戻していく。
しかし、彼の治世では、党派の争いが熾烈になった。高官たちはことあるごとに反発しあった。(ページ2に続く)
『テバク』の中盤では粛宗(スクチョン)の後継者争いが描かれる!
粛宗(スクチョン)に愛された張禧嬪(チャン・ヒビン)/悪女たちの朝鮮王朝5