衰退の道をたどる元
アユルシリダラの皇位継承問題はさまざまな火種を生んだ。
実際、奇皇后を支持する高官と反対する高官が激しく対立するようになった。
クーデターも起きて奇皇后が捕虜になるという緊急事態も起こったが、さらに状況を一転させる出来事が起こった。
トゴン・テムルの正室だったバヤン・フトゥクが亡くなったのである。
この時点でもはや正室候補は奇皇后しかいなかった。これでようやく奇皇后は正式にトゴン・テムルの正妻になった。
しかし、現実は切迫していた。
もはや元の滅亡は避けられない情勢となっていた。そこまで国力が衰退してしまったのである。
1368年、元の滅亡に執念を燃やした朱元璋が新たに明を建国した。彼は大軍を率いて元の首都を占拠した。
元の皇室は、明の攻撃を受けて逃亡するしかなかった。行き先はモンゴル高原のカラコルムだった。
そこで新たに「北元」という国を名乗った。(ページ3に続く)