王妃の手先として動く
1527年、「灼鼠(しゃくそ)の変」が起きた。これは、中宗の長男である世子(セジャ/王の正式な後継者)が住む東宮の庭で、火であぶられたネズミの死体が木にくくられていた事件だった。それだけでなく、景福宮(キョンボックン)の大殿でも焼け死んだネズミが見つかった。
世子は子年の生まれだった。不可解な出来事は世子の将来を不吉に見せる仕業と思われた。誰がこんなことをしでかしたのか。
執拗に犯人探しが行なわれた結果、当日の敬嬪・朴氏の行動が怪しいということになり、彼女は宮中から追放された。
しかし、「灼鼠の変」をしかけたのは鄭蘭貞に違いなかった。彼女は文定王后の敵をつぶすためなら、どんなことでも率先して行なったのである。
その褒美として、鄭蘭貞は文定王后から「自由に王宮に出入りしていい」という許しを得た。こうして彼女は、王宮内で我がもの顔にふるまうようになった。
ついには、尹元衡と共謀して彼の妻を毒殺し、その後釜にすわった。念願だった尹元衡の正妻となった彼女は、従一品の品階を授与された。
この品階をもつと、「貞敬(チョンギョン)夫人」と尊称されるのだが、そう呼ばれる気分は最高だった。(ページ3に続く)
張禧嬪(チャン・ヒビン)の栄光と転落!朝鮮王朝三大悪女に迫る3
文定(ムンジョン)王后と鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)が仕組んだ悪行