第9回 非道でありながら業績が多い王
4代王・世宗(セジョン)の二男が首陽(スヤン)大君だった。彼は若いときから武に長(た)けていて兵書に明るく、学問にも精通していた。二男ではなく長男に生まれたら、朝鮮王朝の歴史でもっとも悲劇的な事件を起こした張本人にならずとも、りっぱな王になっていたと思われる。
野心が強すぎた男
首陽大君の兄は学問に没頭した長男・文宗(ムンジョン)であり、弟は優れた芸術家だった三男・安平(アンピョン)大君だったが、首陽大君が兄弟と違ったのは、野心が強すぎたことだった。
彼は「病弱な兄より文武を備えた自分こそ後継者にふさわしい」といつも思っていた。特に、自分の武人としての資質を周囲に見せようとした。体格以上に大きくつくった服を着て、いつも風を切るように歩いた。
寒い冬に狩りに出るときも、1人で薄着に徹した。そんなときは、わざと動きが鈍い馬を選んで乗った。馬が踏み外して転んだら、すらりと飛び降りる場面を演出したいためであった。
しかし、世宗の長男・文宗への信頼に揺るぎはなかった。(ページ2に続く)