漢字が読めない王の誕生
1849年6月9日に25代王・哲宗となった。
しかし、純元王后もさすがに哲宗の学のなさが心配だったようだ。即位式のあと、純元王后は高官たちに訓示した。
「殿下が徳を積めるかどうかは学識次第です。殿下は、自ら熱心に学ばなければなりません。臣下の者たちは協力して、殿下が徳を積めるように支えてほしい」
このように、哲宗の即位初日の御前会議は教育問題が議題となった。難関の科挙に合格して高官までのぼりつめた官僚たちも、無学の王の誕生に内心ではハラハラするばかりだっただろう。
なにしろ、重臣の1人が哲宗に今までに読んだ書物を尋ねたら、哲宗は子供用の書物を挙げるばかりだったのだ。
純元王后は哲宗に公式の文書を渡したが、漢字を知らない哲宗のためにその文書はハングルで書かれてあった。
まるで、10歳未満の子供が王になったような扱いだった。(ページ3に続く)