張禧嬪(チャン・ヒビン)の死罪!朝鮮王朝の重大な事件簿6

 

19代王・粛宗(スクチョン)が張禧嬪を王宮の中で見初めたのは1680年頃と言われている。そのとき、粛宗は19歳で、張禧嬪は21歳だった。粛宗の母・明聖(ミョンソン)王后は、張禧嬪を警戒した。欲の深さが彼女の表情に出ていたからだ。




お人好しの王妃

明聖王后は張禧嬪を「息子に悪影響を及ぼす女」と決めつけて、すぐに手を打った。張禧嬪を王宮から追い出したのである。
これに異議を唱えたのが、粛宗の正室だった仁顕(イニョン)王后だった。
「殿下がお好きな女官が宮中にいないというのは、いかがなものでしょうか」
そう言った仁顕王后は、張禧嬪の王宮復帰を明聖王后に依頼した。
あきれたのは明聖王后のほうだ。仁顕王后を見ながら「人がいいにもほどがある」と思い、次のように言った。
「あの女を見たことがないからそう言えるのです。あの女は悪だくみをしそうですから、早めに遠ざけたほうがいいのです」




それでも仁顕王后は張禧嬪をかばった。
「今から心配しなくてもよろしいのでは?」
これほどに仁顕王后はお人好しなのだ。
実際、明聖王后が1683年に41歳で亡くなると、仁顕王后は本当に張禧嬪を王宮に呼び戻してしまった。(ページ2に続く)

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