張禧嬪(チャン・ヒビン)の死罪!朝鮮王朝の重大な事件簿6

長く続かなかった栄光

張禧嬪にとって仁顕王后は恩人にあたるのだが、張禧嬪は粛宗の寵愛を受けていることに驕って仁顕王后を邪険にした。
その態度があまりにひどいので、さしもの仁顕王后も、ようやく目がさめた。
彼女は粛宗に「あの女はいけません」と忠告したのだが、すでに遅かった。張禧嬪が粛宗の長男を産むと、彼女はますます増長した。こうなると、仁顕王后は亡き明聖王后の言葉をしみじみとかみしめるしかなかった。




一方、粛宗は長男を産んだ張禧嬪にしつこく頼まれて、とんでもないことを言いだした。仁顕王后を廃妃にするというのだ。高官たちが猛反対したが、粛宗は1689年に強行した。そして、空いた王妃の座に側室だった張禧嬪を昇格させた。
この時点で仁顕王后には子供がいなかった。やはり、王の息子を産んだ女性はこれほど重宝されたのである。
しかし、張禧嬪の栄光は長く続かなかった。粛宗が新たに淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏を寵愛するようになったからである。彼女は、ドラマ『トンイ』の主人公になった女性だ。
淑嬪・崔氏は、ずっと仁顕王后を慕っていた。そういう事情もあり、彼女は粛宗に「どうかもう一度王妃様を王宮に戻してあげてくださいませんか」と懇願した。
粛宗は寵愛する女性の頼みをなるべく聞いてあげるタイプのようだ。彼は1694年に高官たちを集めて、急に仁顕王后を王妃に戻すことを発表した。(ページ3に続く)

思悼世子(サドセジャ)の悲劇!朝鮮王朝の重大な事件簿7

チーズタッカルビは新大久保でなぜ人気があるのか
https://goo.gl/h2GMkx

初心者でも大丈夫!おいしいキムチの作り方
https://goo.gl/Za4BCe

淑嬪崔氏(トンイ)/朝鮮王朝美女物語2
https://goo.gl/oAuy2M

張禧嬪(チャン・ヒビン)/朝鮮王朝美女物語4
https://goo.gl/7Bh5QF

「張禧嬪(チャン・ヒビン)よりトンイが悪女!」と言える3つの根拠
https://goo.gl/ZeE897

固定ページ:
1

2

3

関連記事

ピックアップ記事

必読!「悪女たちの朝鮮王朝」

本サイトには、「悪女」というジャンルの中に「悪女たちの朝鮮王朝」というコーナーがあります。ここでは、朝鮮王朝の歴史の中で政治的に暗躍した女性たちを取り上げています。
朝鮮王朝は儒教を国教にしていた関係で、社会的に男尊女卑の風潮が強かったのです。身分的には苦しい境遇に置かれた女性たちですが、その中から、自らの才覚で成り上がっていった人もいます。彼女たちは、肩書社会に生きる男性を尻目に奔放に生きていきましたが、根っからの悪女もいれば、悪女に仕向けられた女性もいました。
「悪女たちの朝鮮王朝」のコーナーでは、そんな彼女たちの物語を展開しています。

もっと韓国時代劇が面白くなる!

韓国時代劇によく登場する人物といえば、朝鮮王朝の国王であった中宗、光海君、仁祖、粛宗、英祖、正祖を中心にして、王妃、側室、王子、王女、女官などです。本サイトでは、ドラマに登場する人物をよく取り上げています。

ページ上部へ戻る