人質となった昭顕
降伏した朝鮮王朝の立場は本当にみじめだった。清が明を攻める際に支援することを約束させられたうえに、多額の賠償金を取られてしまう。さらに、多くの庶民が捕虜となり、仁祖の息子である長男の昭顕(ソヒョン)や二男の鳳林(ポンニム)も人質として連れていかれてしまった。仁祖は息子との別れをとても悲しんだ。
しかし、仁祖はいつまでも悲しんでいるわけにはいかなかった。彼は、敵に屈服して恥をさらしたため、民衆から見放されてしまったのである。
一方、人質として当時の清の首都である瀋陽に連れていかれた昭顕は、王の後継者ということで、それなりの待遇を受けた。昭顕は、瀋陽にいる間に異国の文化にかぶれてしまう。その様子は、仁祖の耳にもしっかりと届いていた。(ページ4に続く)