歴史書も絶世の美女だったと記した
ついに、仁顕王后も堪忍袋の緒が切れた。彼女は人を見る目の甘さを自覚せざるをえなかった。
「あの女はいけません。他の女性をお抱えください」
仁顕王后は粛宗にそう進言した。彼女は遅ればせながら、明聖王后の言葉の正しさをしみじみと実感する羽目となった。
結局、仁顕王后の主導によって新たな側室が選抜された。ここにも仁顕王后の人の良さが表れている。普通、正室であれば側室に嫉妬しても不思議はないのだが……。
わざわざ自分で側室を選ぶ正室というのも、珍しい存在に違いない。
それでも、粛宗は新しい側室にまったく興味を示さず、相変わらず張禧嬪のもとに通った。それほど粛宗は張禧嬪を寵愛したのだ。
朝鮮王朝の歴史を詳しく記した「朝鮮王朝実録」でも、張禧嬪が絶世の美女であったと書かれている。その美貌が粛宗を完全に射抜いたのである。
文=康 熙奉(カン ヒボン)