文定王后の仕打ち
仁宗の体調は悪くなる一方で、もはや回復が望めないほどになった。それなのに、文定王后は何度も外出騒ぎを起こしては、臣下たちを混乱させた。それは、継母としてあまりにもわがままな態度だった。
そうした状況の中で、1545年7月に仁宗は30歳で息を引きとった。
彼には息子がいなかったため、必然的に慶源大君が13代王・明宗(ミョンジョン)として即位した。
一説によると、仁宗が子をもうけなかったのも、慶源大君を王にしたい継母のことを思っていたからだと伝えられている。歴代王の中でも仁宗ほど孝を尽くした人物はいなかったのだ。
しかし、文定王后は仁宗の葬儀を簡単にすませてしまう。
「在位期間が短いから」
それが理由だった。
文定王后はあまりに冷血な継母であった。
文=慎 虎俊(シン ホジュン)
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