11代王・中宗(チュンジョン)の治世は38年の長きに及んだが、晩年は病に苦しむようになった。そんな中宗を支えたのは、世子(後の12代王・仁宗〔インジョン〕)だった。世子は中宗の2番目の正室・章敬(チャンギョン)王后が産んだ長男。病弱だった章敬王后は世子を産んで6日後に亡くなり、中宗の3番目の正室となる文定(ムンジョン)王后が世子の継母になった。
王の後継者は長男
文定王后は継子の世子をうとましく思っていた。
決定的な出来事が起きる。1934年、文定王后が慶源(キョンウォン)大君を産んだのだ。しかし、朝鮮王朝では、「王の後継者は長男」が原則。慶源大君が王位に就ける可能性は低かった。
さらに、世子は幼い頃から聡明で礼節を尊ぶ性格。多くの人望を得ていたので失脚させることも難しかった。
だが、文定王后は世子の命を狙い始めた。(ページ2に続く)
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