多くの人質を取られた
仁祖は鬱屈(うっくつ)した。
「なぜ、こんな屈辱を受けなければならないのか……」
あれほど「辺境の蛮族」と馬鹿にしていた相手に屈服することは、仁祖のプライドをひどく傷付け、清への憎しみを増加させていく。
しかし、民衆は仁祖を罵(ののし)り、「情けない王のせいで、我々の生活は苦しくなるばかり」と非難した。
結局、清は朝鮮王朝から莫大な賠償金と、大量の人質までも奪っていった。中には、仁祖の長男の昭顕(ソヒョン)世子、二男の鳳林(ポンニム)大君、三男の麟坪(インピョン)大君の姿もあった。
まだ幼かった麟坪大君は翌年に返されたが、昭顕世子と凰林大君はその後も人質として、清に捕われたままだった。(ページ3に続く)
仁祖(インジョ)はなぜ昭顕(ソヒョン)世子の一家を滅ぼしたのか
光海君(クァンヘグン)を追放した仁祖(インジョ)に大義名分はあるのか?