後ろ楯は王妃
『女人天下』での尹元衡と鄭蘭貞の出会いは、完全なフィクションである。しかし、欲深い2人が結託するときは、おそらくドラマのようなドロドロしたものがあったはずだ。
結局、尹元衡と鄭蘭貞は「悪の継妃」であった文定王后の手先となって、敵対勢力を陰謀で粛清する役を引き受けた。
特に、尹元衡が絶大な権力を握るようになったのは1545年からだ。
その前年に中宗が世を去り、次の王に仁宗(インジョン)がなった(彼は中宗の二番目の正室だった章敬〔チャンギョン〕王妃から生まれている)。
しかし、仁宗は即位からわずか8カ月で急死した。文定王后によって毒殺されたと見られている。
その結果、文定王后が産んだ息子が13代王・明宗(ミョンジョン)として即位した。彼はまだ未成年だったので文定王后が代理で政治を仕切った。こうして、弟の尹元衡は文定王后の後ろ楯を得て、政治を一気に牛耳るようになった。
そんな尹元衡が政敵を粛清するために画策した陰謀が、1547年に起こった良才(ヤンジェ)駅壁書事件である。(ページ4に続く)
鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)は何をした?『オクニョ 運命の女』に登場
明宗(ミョンジョン)は何をした?『オクニョ 運命の女』に登場
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