亡き父の名誉を守る
英祖の孫が22代王の正祖(チョンジョ)である。
父が祖父によって餓死させられているので、本当につらい少年時代を過ごした。なおかつ、王朝内の権力闘争に巻き込まれて命を狙われる危険性が高かった。それだけに、正祖は服を着たまま寝ていたといわれている。そうやって用心しながら過ごしたのち、正祖は1776年に即位した。
彼も祖父が採用していた蕩平策を受け継ぎ、公平な人事を行なった。そのうえで、生活に役立つ実学を奨励して、さまざまな技術の発達を促した。また、文芸復興に熱心だったのも正祖の治世の特徴だった。
とはいえ、正祖が今も韓国の人々にとても尊敬されているのは、大変な親孝行だったからだ。
彼は亡き父の名誉を回復することに心血を注いだ。その一環として、漢陽(ハニャン/現在のソウル)の南に位置する水原(スウォン)に父の墓を移した。そこが、風水で占うと一番の適地だったからだ。そして、墓参りを欠かさず、一時は都を水原に移そうと本気で考えていた。
それは実現しなかったが、父のために遷都までしようというのだから、正祖の親孝行ぶりは徹底していた。(ページ4に続く)