最悪の暴君
即位当初は悪評だらけの世祖だったが、彼は政治的には能力が高く、土地制度の改革、軍事力の充実、国の基本法典の編纂などで力を発揮した。
こうした世祖の政治を引き継いだのが1469年に即位した9代王・成宗(ソンジョン)で、彼は朝鮮王朝の統治体制の基本となった「経国大典」を作った。今で言うと憲法を制定したようなものであり、成宗の業績は高く評価されている。
成宗の治世は1494年まで続いたが、その時点で朝鮮王朝は建国からほぼ100年を経過した。政治の基盤は完全に整い、王朝はまさに安定期を迎えようとしていた。その時期に、国内を大混乱に陥れる暴君が現れた。とんでもない王の名は燕山君(ヨンサングン)。朝鮮王朝27人の王の中で最悪の男である。
悪行は数知れないが、生母の死罪に関係した官僚たちをねこそぎ処刑した事件は悲惨だった。すでに死んでいる官僚の場合は、その墓を掘り返して死人の首をはねるという暴挙まで行なった。
燕山君の私生活はまさに酒池肉林。朝鮮王朝の最高学府は成均館(ソンギュングァン)だったが、その学問の場を日夜宴会場にして酒色にふけった。しかも、庶民がハングルで燕山君を批判する落書きをすると、ハングルそのものを禁止してしまった。文字を使うな、というのは常軌を逸している。
国政は乱れ、人心も離れた。それでも、燕山君は乱れた生活をやめなかった。(ページ3に続く)