中央集権的な国家に変貌
もともと、新羅という国は、紀元前57年に朴赫居世(パク・ヒョッコセ)が王位に就いたときから始まるとされている。
当初は朴氏が王位を守り、その後は昔(ソク)氏が王位継承の仲間入りをして、さらに金(キム)氏も加わった。
つまり、初期の新羅は朴、昔、金という三氏によって国が運営されたのである。
最後は、金氏の力が強大となり、王位は金氏によって独占されるようになった。
そして、356年には奈勿王(ネムルワン)が即位し、それまでの土着的な要素が強い国家が中央集権的な国家に変貌を遂げて新羅となった。
一方、朝鮮半島最南部で新羅と百済に挟まれた地域を領土としていたのが伽耶(カヤ)であった。
しかし、562年に新羅はこの伽耶を吸収してさらに領土を拡張した。
当時、朝鮮半島中部の大河であった漢江(ハンガン)の流域は、その支配をめぐって高句麗と百済が争っていたが、ここに新羅も進出し、三国による覇権争いが非常に激しくなった。(ページ3に続く)