日本の古戦場〔第1回/姉川〕

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これから小谷城の城跡を登っていく

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いざ、本丸跡をめざす

激怒した織田信長

信長はかろうじて若狭から京に戻ることができ、5月21日には岐阜城に帰っていった。命こそ助かったが、この危機は信長にとってどんなに屈辱だったことであろうか。
「長政をこのまま生かしてはおかぬ」
浅井長政の造反に激怒した織田信長は、態勢を整えて1570年6月に徳川家康とともに出陣した。




琵琶湖東岸に位置する姉川で対峙したのは、信長と家康の軍勢3万9千に対して浅井長政と朝倉景健の連合軍1万8千だった。
信長は当初、小谷城を攻め落とそうとしたが、堅固な城であるためにそれができず、6月22日に城下の民家に火を放った。
浅井長政は、朝倉軍の主力となる朝倉義景の軍勢が来るのを待とうとしたのだが、織田の軍勢が出城を攻撃するに至り全面衝突が避けられなくなった。
決戦は午前6時頃、家康軍と朝倉軍の激突で始まった。(ページ3に続く)

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