
『雲が描いた月明り』についても紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社発行)
国政で指導力を発揮
純祖が孝明世子に代理聴政をさせたかったのには別の理由もあった。
孝明世子が代理聴政を命じられた1827年の頃には、純祖の正妻であった純元(スヌォン)王后の実家(安東〔アンドン〕・金氏の一族)が政権の中枢を占めていた。純祖はそんな状況を好ましく思っておらず、政権の要職を刷新する腹積もりで孝明世子に政治をまかせようとしたのだ。
そうした純祖の期待に応えられるほど孝明世子は統治能力を備えていた。
しかし、当の孝明世子はまだ18歳という年齢を理由に、代理聴政を受けることを辞退した。このあたりは控えめな性格であったとも言える。
それでも、純祖の王命によって孝明世子の代理聴政が決まった。それは、1827年の2月のことだった。
まかされた以上、孝明世子は国王の摂政として最善を尽くそうとした。実際、国政において指導力を発揮している。
彼が最初に行なったのは人事の刷新だった。孝明世子は安東・金氏の一族の専横を抑えるために、新しい人材をどんどん登用した。その際に重用されたのは、孝明世子の妻の実家である豊壌(プンヤン)・趙氏の一族だった。
実際、孝明世子の岳父にあたる趙萬永(チョ・マニョン)は孝明世子の後押しによって最大級の出世を果たした。
(ページ3に続く)
イ・ヨン(孝明世子)の惜しまれる世子人生!
イ・ヨン(孝明世子)の惜しまれる世子人生! | 韓国時代劇アンニョン
イ・ヨンという本名であった孝明世子(ヒョミョンセジャ)は、朝鮮王朝の23代王・純祖(スンジョ)の長男である。1809年に生まれ、将来を嘱望(しょくぼう)される優秀な世子だった。しかし、彼の人生は思わぬ形で終わることになってしまった。
〔解説〕世子嬪(セジャビン)という人生/イ・ヨン(孝明世子)の世子嬪は?
〔解説〕世子嬪(セジャビン)という人生/イ・ヨン(孝明世子)の世子嬪は? | 韓国時代劇アンニョン
朝鮮王朝では、王の正式な後継者は世子(セジャ)と呼ばれたが、その世子の妻が世子嬪(セジャビン)である。世子嬪は将来の王妃であったが、実際には運命に翻弄される女性も多かった。
「朝鮮王朝三大悪女」の中で誰が一番の悪女か?
「朝鮮王朝三大悪女」の中で誰が一番の悪女か? | 韓国時代劇アンニョン
韓国時代劇が人気になって、朝鮮王朝時代の悪女たちのことがよく知られるようになると、「朝鮮王朝三大悪女」として3人の女性が挙がるようになった。それが張緑水(チャン・ノクス)、鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)、張禧嬪(チャン・ヒビン)である。
光海君(クァンヘグン)の正体!朝鮮王朝15代王の功罪
光海君(クァンヘグン)の正体!朝鮮王朝15代王の功罪 | 韓国時代劇アンニョン
光海君(クァンヘグン)は、時代によって評価がわかれる国王である。クーデターで王位を追われているので、暴君としての悪評が高かった時期もあれば、実は暴君どころか名君であったという評価が出ている時期もある。果たしてどちらが光海君の正体なのか。


