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タグ:思悼世子
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思悼世子(サドセジャ)と恵慶宮(ヘギョングン)は険悪な夫婦だった!
国王・英祖(ヨンジョ)の息子だった思悼世子(サドセジャ)と、高官・洪鳳漢(ホン・ボンハン)の娘であった恵慶宮(ヘギョングン)。2人は果たして、どんな夫婦だったのだろうか。 夫… -
思悼世子(サドセジャ)を餓死させた英祖(ヨンジョ)/朝鮮王朝人物列伝特選4
朝鮮王朝19代王・粛宗(スクチョン)と側室の叔嬪・崔氏(スクビン・チェシ)との間に生まれた21代王・英祖(ヨンジョ)は、在位中に人事問題で大きな功績を上げたのだが……。 英祖… -
英祖(ヨンジョ)と思悼世子(サドセジャ)に確執が生まれた日(再読版)
1735年に生まれた思悼世子(サドセジャ)は神童と呼ばれた。喜んだ父の英祖(ヨンジョ)は、思悼世子が10歳のときから政治の表舞台にデビューさせた。これがいけなかった。当時の主流派閥は老論派(ノロンパ)… -
英祖(ヨンジョ)とイ・ソン(思悼世子〔サドセジャ〕)の悲劇!
1762年に朝鮮王朝で最大の悲劇と言われる大事件が起きた。国王の正式な後継者である世子(セジャ)が米びつに閉じ込められて餓死したのだ。しかも、それを命じたのが父であった国王だ。この悲劇はどのようにして… -
思悼世子(サドセジャ)とイ・サンの麗しき親子愛!
それは1762年のことだった。思悼世子(サドセジャ)が米びつに閉じ込められて餓死する事件が起こった。このとき、思悼世子の息子はどのように動いたのか。時代劇『イ・サン』と史実の世界を比較してみよう。 … -
イ・ソン(思悼世子〔サドセジャ〕)の餓死!朝鮮王朝全史22
1724年に21代王として即位した英祖(ヨンジョ)は、官僚たちの各派閥から公平に人材を登用する政策を実施して、政権の安定を築いた。このように善政を続けていた英祖だが、長く王の座にいると、様々なほころび… -
世子の「イ・ソン」と言えば思悼世子(サドセジャ)のこと!
NHKが放送する『仮面の王 イ・ソン』には、ユ・スンホが演じる世子(セジャ)としてイ・ソンという人物が登場する。実際の歴史を見ると、朝鮮王朝の王家にいたイ・ソンと言えば、思悼世子(サドセジャ)のことで… -
思悼世子(サドセジャ)が餓死した後で妻の恵慶宮(ヘギョングン)はどうなった?
恵敬宮(ヘギョングン)は、21代王・英祖(ヨンジョ)の時代に領議政(ヨンイジョン/現在の総理大臣)を務めた洪鳳漢(ホン・ボンハン)の娘である。彼女は、思悼世子(サドセジャ)の妻としてどのように過ごした… -
英祖(ヨンジョ)と思悼世子(サドセジャ)に確執が生まれた日
1735年に生まれた思悼世子(サドセジャ)は神童と呼ばれた。喜んだ父の英祖(ヨンジョ)は、思悼世子が10歳のときから政治の表舞台にデビューさせた。これがいけなかった。当時の主流派閥は老論派(ノロンパ)… -
呆然とする思悼世子(サドセジャ)/朝鮮王朝劇場5
思悼世子(サドセジャ)とは誰か? 生没年は1735年~1762年。21代王・英祖(ヨンジョ)の息子で、母は英祖の側室であった映嬪(ヨンビン)・李(イ)氏。思悼世子は幼い頃から頭脳明晰だった。しかし、…