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タグ:光海君
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知られざる光海君(クァンヘグン)の実像1「光海君の即位」
光海君(クァンヘグン)はどのような王だったのでしょうか。父親は14代王・宣祖(ソンジョ)です。この宣祖は、朝鮮王朝で初めて側室から生まれた王でした。13代王までは、すべて王の正室から生まれています。そ… -
光海君(クァンヘグン)の記事一覧!真実の姿がわかる
光海君は14代王・宣祖(ソンジョ)の二男として1575年に生まれた。1608年に15代王として即位したが、1623年にクーデターを起こされて廃位となった。かつては暴君のイメージがつきまとったが、歴史研… -
光海君(クァンヘグン)!暴君の汚名から名君へと評価が一変した国王(再読版)
14代王の宣祖(ソンジョ)には14人もの息子がいた。しかし、正室は長く病床にあったので、息子はすべて側室から生まれた庶子であった。その中で、長男の臨海君(イメグン)と二男の光海君(クァンヘグン)が世継… -
光海君(クァンヘグン)は暴君より名君?/朝鮮王朝人物列伝特選1
朝鮮王朝27人の王の中で暴君と称される10代王・燕山君(ヨンサングン)と、15代王・光海君(クァンヘグン)。しかし、近年では光海君の業績を見直そうとする動きがある。果たして、光海君は暴君なのか。それと… -
光海君(クァンヘグン)を追放した仁祖(インジョ)に大義名分はあるのか?(再読版)
1623年、綾陽君(ヌンヤングン)と呼ばれていた仁祖が15代王・光海君をクーデターで廃位させた事件は、歴史的に「仁祖反正」と呼ばれている。「反正(パンジョン)」には、間違った政治をただす、という意味が… -
光海君(クァンヘグン)!暴君の汚名から名君へと評価が一変した国王
14代王の宣祖(ソンジョ)には14人もの息子がいた。しかし、正室は長く病床にあったので、息子はすべて側室から生まれた庶子であった。その中で、長男の臨海君(イメグン)と二男の光海君(クァンヘグン)が世継… -
光海君(クァンヘグン)の妻の柳氏(ユシ)は不名誉な廃妃(ペビ)となった!
自分より8歳も若い女性が母となったら、どんなふうに接したらいいのだろうか。そんな難題が生じて、柳氏(ユシ)はほとほと困惑してしまった。きっかけは、14代王・宣祖(ソンジョ)の再婚だった。 [ca… -
仁穆(インモク)王后は仁祖(インジョ)に光海君(クァンヘグン)の斬首を主張!
1623年3月13日の明け方、綾陽君(ヌンヤングン/後の仁祖〔インジョ〕)の統率のもとで兵力を整えたクーデター軍は、内通者の協力を得て王宮内に入り込み、重要な拠点を次々に占拠した。虚をつかれた光海君は… -
廃位後の光海君(クァンヘグン)一家の悲劇!
1623年にクーデターで王宮を追われた光海君(クァンヘグン)。廃位になってしまった彼は、一家と共に江華島(カンファド)に流罪となった。その後、どうなったのだろうか。 [caption id="a… -
光海君(クァンヘグン)は暴君なのか?名君なのか?
光海君は14代王・宣祖(ソンジョ)の二男として1575年に生まれた。兄は臨海君(イメグン)である。この兄弟は朝鮮出兵のときに対照的な立場になった。臨海君は義兵を募る目的で地方に行ったとき、加藤清正の捕…