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タグ:光海君
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知られざる光海君(クァンヘグン)の実像4「仁祖反正」
外交の他に、光海君(クァンヘグン)の政治的業績の1つと言われているのが大同法を広めようとしたことです。大同法は、税金を土地の所有に応じて支払うという法律で、直接的に一般庶民の減税につながるものです。両… -
知られざる光海君(クァンヘグン)の実像3「光海君の二股外交」
近年になって歴史の研究が進むと、光海君(クァンヘグン)は暴君ではなくて、むしろ名君であったという声が起こってきます。イ・ビョンホンが主演した「王になった男」はそういう論調で作られた映画で、光海君の優れ… -
知られざる光海君(クァンヘグン)の実像2「骨肉の争い」
光海君(クァンヘグン)を支持する政治的な派閥が大北(テブク)派です。大北派は光海君が王であり続けるかぎり大出世を果たせるので、自分たちの地位を守るために暗躍します。その中心で動いていたのが金介屎(キム… -
知られざる光海君(クァンヘグン)の実像1「光海君の即位」
光海君(クァンヘグン)はどのような王だったのでしょうか。父親は14代王・宣祖(ソンジョ)です。この宣祖は、朝鮮王朝で初めて側室から生まれた王でした。13代王までは、すべて王の正室から生まれています。そ… -
光海君(クァンヘグン)の記事一覧!真実の姿がわかる
光海君は14代王・宣祖(ソンジョ)の二男として1575年に生まれた。1608年に15代王として即位したが、1623年にクーデターを起こされて廃位となった。かつては暴君のイメージがつきまとったが、歴史研… -
光海君(クァンヘグン)!暴君の汚名から名君へと評価が一変した国王(再読版)
14代王の宣祖(ソンジョ)には14人もの息子がいた。しかし、正室は長く病床にあったので、息子はすべて側室から生まれた庶子であった。その中で、長男の臨海君(イメグン)と二男の光海君(クァンヘグン)が世継… -
光海君(クァンヘグン)は暴君より名君?/朝鮮王朝人物列伝特選1
朝鮮王朝27人の王の中で暴君と称される10代王・燕山君(ヨンサングン)と、15代王・光海君(クァンヘグン)。しかし、近年では光海君の業績を見直そうとする動きがある。果たして、光海君は暴君なのか。それと… -
光海君(クァンヘグン)を追放した仁祖(インジョ)に大義名分はあるのか?(再読版)
1623年、綾陽君(ヌンヤングン)と呼ばれていた仁祖が15代王・光海君をクーデターで廃位させた事件は、歴史的に「仁祖反正」と呼ばれている。「反正(パンジョン)」には、間違った政治をただす、という意味が… -
光海君(クァンヘグン)!暴君の汚名から名君へと評価が一変した国王
14代王の宣祖(ソンジョ)には14人もの息子がいた。しかし、正室は長く病床にあったので、息子はすべて側室から生まれた庶子であった。その中で、長男の臨海君(イメグン)と二男の光海君(クァンヘグン)が世継… -
光海君(クァンヘグン)の妻の柳氏(ユシ)は不名誉な廃妃(ペビ)となった!
自分より8歳も若い女性が母となったら、どんなふうに接したらいいのだろうか。そんな難題が生じて、柳氏(ユシ)はほとほと困惑してしまった。きっかけは、14代王・宣祖(ソンジョ)の再婚だった。 [ca…