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カテゴリー:日本と韓国の歴史
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イ・サン(正祖〔チョンジョ〕)が進めた政治改革!朝鮮王朝全史23
正祖(チョンジョ)は即位すると、不遇の死を遂げた父・思悼世子(サドセジャ)の名誉回復に全力を注いだ。正祖は父を先王として尊び、後には風水地理的に優れた水原(スウォン)にその墓を移した。 人材… -
イ・ソン(思悼世子〔サドセジャ〕)の餓死!朝鮮王朝全史22
1724年に21代王として即位した英祖(ヨンジョ)は、官僚たちの各派閥から公平に人材を登用する政策を実施して、政権の安定を築いた。このように善政を続けていた英祖だが、長く王の座にいると、様々なほころび… -
『春香伝』(チュニャンジョン)!朝鮮王朝最高の伝承物語
韓国の人なら誰もが知っている『春香伝』は、過去に何度も映画やドラマになっている。どんな内容なのか。17世紀後半、全羅道(チョルラド/朝鮮半島西南部の地域)で暮らしていた元妓生の月梅(ウォルメ)がかわい… -
トンイから徹底的な教育を受けた英祖(ヨンジョ)!朝鮮王朝全史21
後世において名君と称された21代王の英祖(ヨンジョ)。彼がそこまで評価されたのは、母である淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏の影響が大きい。彼女はドラマ『トンイ』の主人公のモデルだった女性だ。 … -
張禧嬪(チャン・ヒビン)の息子の景宗(キョンジョン)が即位!朝鮮王朝全史20
正室の座を手に入れた張禧嬪(チャン・ヒビン)は、その後、ますますわがままが目立つようになり、時には粛宗(スクチョン)にさえ意見をした。粛宗はそんな張禧嬪にいら立ちをつのらせていった。 呪いの… -
張禧嬪(チャン・ヒビン)を寵愛した粛宗(スクチョン)!朝鮮王朝全史19
長い間の人質生活によって清に反感を持っていた孝宗(ヒジョン)は、王になるとすぐに清に好感を持つ高官たちを追放した。そして、清がロシアの軍勢に苦しめられているという大義名分を得て、北伐の準備を強行した。… -
不可解な昭顕世子(ソヒョンセジャ)の死!朝鮮王朝全史18
16代王・仁祖(インジョ)は、クーデターを起こして先王の光海君(クァンヘグン)を追放して1623年に即位するが、彼には多くの困難が待ち受けていた。特につらかったのが、異民族の侵攻を度々受けたことだった… -
〔編集〕韓国は日本の植民地時代をどう生きたのか(後編)
1926年には、朝鮮王朝最後の王だった27代王・純宗(スンジョン)が亡くなりました。6月10日に国葬が行なわれましたが、その際に「独立万歳」を叫んだ学生たちと日本の官憲が衝突しました。再び抗日運動が激… -
〔編集〕韓国は日本の植民地時代をどう生きたのか(前編)
1910年8月22日、日本と大韓帝国の間で「日韓併合ニ関スル条約」が調印されました。この条約は8月29日に公布され、同時に、518年続いた朝鮮王朝が滅亡しました。朝鮮半島に朝鮮総督府が置かれるようにな… -
〔編集〕韓国はなぜ日本の植民地になったのか(後編)
閔氏(ミンシ)亡きあと、朝鮮王朝には親日政権が誕生しました。しかし、1896年2月に高宗(コジョン)はひそかに王宮を脱出してロシア公使館にたてこもり、親日派の高官たちを次々に処罰しました。以後、朝鮮王…