朝鮮王朝で「絶世の美女」と称された5人は誰か

 

朝鮮王朝時代に国王は何人かが肖像画を残しているのだが、女性の場合は王族であっても肖像画を残していない。しかし、歴史書の記述によって誰が美女であったのかが明らかになっている。その中で特に名高い5人を選んでみた。




朝鮮王朝でもっとも美しかった王女

まずは、神徳王后(シンドクワンフ)だ。
朝鮮王朝を建国した初代王・太祖(テジョ)の二番目の妻であった。
太祖が惚れ抜くほど美しかったという。
芳蕃(バンボン)と芳碩(バンソク)という二人の息子をもうけた。太祖に働きかけて、芳碩を世子(セジャ)にすることに成功。ただし、1396年に40歳で世を去った。死ぬ間際まで芳碩の行く末を案じていたが、その2年後に芳碩は異母兄によって世子から下ろされて殺害されてしまった。
2人目は敬恵(キョンヘ)王女だ。
5代王・文宗(ムンジョン)の娘で6代王・端宗(タンジョン)の姉である。
なんといっても、「朝鮮王朝でもっとも美しかった王女」と評されている。
端宗が世祖(セジョ)によって王位を奪われて死罪になった後、彼女は奴婢(ぬひ)にされた。しかし、世祖は最後は気の毒に思って、彼女の面倒を見た。1473年に38歳で亡くなったが、その息子は後に科挙に合格して出世を果たした。




次は、伝説の黄真伊(ファン・ジニ)だ。
生没年は不明である。
10代の頃から美貌が広まり、恋い焦がれた青年が死んでしまうという騒動まで起きている。
後に妓生(キーセン)となったが、詩歌の才能が卓越していて、その作品は韓国の教科書に載るほど有名である。時代劇『ファン・ジニ』のモデルにもなっている。
(ページ2に続く)

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