世祖(セジョ)はなぜ朝鮮王朝でも評判が悪いのか

 

世祖は甥の端宗(タンジョン)から王位を奪って1455年に7代王となった。彼の祖父である3代王・太宗(テジョン)も異母兄弟と骨肉の争いを起こして王になっている。しかし、建国当時と違って、すでに儒教の倫理観が社会に浸透していた時期だっただけに、世祖の名分のない王権獲得は大きな反発を生んだ。

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文治より覇道に走る

孝と忠を基本とする儒学者たちは世祖を王として認めなかった。
世祖を追い出そうとする動きが続き、エリート知識人たちが出仕を拒むなど、社会の混乱が顕著になった。
世祖は極端な方法で政敵を除去して自分の政権をつくったが、その過程で大臣たちの権力を縮小させ、王の立場を強化させた。文治より覇道に走ってしまったのだ。そうした独断的な政治による弊害が多かった。
また、世祖は甥の端宗や弟の安平(アンピョン)大君を死罪にするという非道をおかす一方で、自分の即位に貢献した韓明澮(ハン・ミョンフェ)や申叔舟(シン・スクチュ)などを異様に厚遇した。
その結果、側近の跋扈(ばっこ)を許し、彼らの権勢が様々な歪みを生んだ。
確かに、国が侵略を受けたときに命をかけて戦った人たちを称えるのは国家の義務だ。しかし、政権奪取に寄与したとして多くの者を功臣にすると、そこで問題が生じるのは自明の理だ。




何よりも、法よりも上の存在になった功臣たちは、図に乗って社会の安定に害を及ぼすことがよくあった。
それでも世祖が功臣たちを捨てられなかったのは、彼ら以外に頼れる者がいなかったからであろう。正統性の欠けた世祖は既存の勢力からの支持を得られなかったのだ。当然、自分のために集まった人を頼るしかなかった。
しかし、世祖のために集まった者というのは名分、価値観、哲学に従ってきた者たちではない。彼らが動いた理由は、そこに利益があるからだ。それゆえ、彼らを引き止めておくには、それ相応の利益を与え続けなければならなかった。
そうして功臣たちに次々と与えた特権が、数々の蛮行を招いた。そして、彼ら功臣たちの特権は後代まで世襲され、王権まで脅かすことになってしまった。
(ページ2に続く)

甥の端宗(タンジョン)から王位を奪った世祖(セジョ)の悲劇とは?

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世祖(セジョ)の非道!朝鮮王朝の重大な事件簿2

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