明宗(ミョンジョン)は母の文定(ムンジョン)王后の悪政に苦しめられた

 

1545年、12代王・仁宗(インジョン)が亡くなり、異母弟の明宗(ミョンジョン)が即位した。彼の母は、中宗(チュンジョン)の三番目の正室だった文定(ムンジョン)王后である。彼女が行なった悪政は息子の明宗をとことん苦しめた。

横暴な2人




明宗は、中宗と文定王后を両親にして1534年に生まれた。
彼が1545年に即位したときは11歳だった。
王が未成年の場合は、王族の最長老女性が政治を代行することに決まっている。それによって、文定王后が実質的に政治を動かすことになった。
その際、勢力を一気に拡大したのが文定王后の弟の尹元衡(ユン・ウォニョン)だった。この弟は朝鮮王朝三大悪女の一人に数えられる妻の鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)と結託して、姉の意図をくみながら仁宗時代に登用された高官たちを次々に粛清していった。結局、政治の腐敗がひどくなり、庶民の生活にも大きな影響が出た。都では権力者を批判する文章が壁に書かれるようになった。
「上では、女が王の上に立って権力を握り、下では、奸臣たちがやりたい放題。これでは国が滅びてしまう。ああ、おそろしいことだ」
本当のことを書かれると、かえって怒りが増幅するものらしい。




文定王后と尹元衡は、批判的な文章に我慢ならなくなり、書いた者たちを徹底的に突き止めようとした。
その過程でも、罪もない人々が濡れ衣を着せられて厳罰を受けた。
こうした横暴を誰よりも悲しんでいたのが、王位に就いていた明宗だった。
彼は教養のある王であった。しかし、母の摂政が長かったために成人後にも独自の政治理念を発揮することができなかった。そういう意味では、明宗が名君になる芽をことごとく摘んでいたのが実母と叔父であったと言える。
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明宗(ミョンジョン)は何をした?『オクニョ 運命の女』に登場

文定(ムンジョン)王后と鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)が仕組んだ悪行

中宗(チュンジョン)はなぜ文定(ムンジョン)王后の悪行を止めなかった?

『オクニョ』に登場する実在の人物で一番のワルは文定(ムンジョン)王后!

悪の手先だった鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)

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