朝鮮王朝人物列伝/第14回
文定(ムンジョン)王后は「朝鮮王朝3大悪女」ではないが、自分の子を王にするためにやったことを見れば、彼女も典型的な悪女の1人である。文定王后は存命中にいったい何をしたのだろうか……。
自分の子を王にするために
文定王后は、11代王・中宗(チュンジョン)の二番目の正室である章敬(チャンギョン)王后が息子の峼(ホ)を産んでから6日後に亡くなったことで、三番目の正室として迎えられた。前妻の息子は文定王后に育てられるが、野心を秘めた彼女に疎ましく思われていた。
そんな状況の中である事件が起きる。
1534年、息子の慶源大君(キョンウォンデグン)を産んだ文定王后は、自分の子を王にしたいと思うようになる。朝鮮王朝では、後継ぎは長男がなるという原則であるため、慶源大君が王になるのは不可能に近かった。さらに、幼いころから聡明だった異母兄の峼は多くの人望があり、陥れるのも難しかった。
しかし、文定王后は諦めきれず、峼の命を狙うようになった。それについては、こんな逸話が残っている。
峼が宮殿で休んでいたときのことである。異常な熱気を感じて起き上がった彼は、宮殿が燃えていることに気づいた。峼は一緒に休んでいた妻を先に逃がすとその場に座り込む。峼は、この火事を起こしたのが文定王后であることに気づいていて、親孝行のつもりで死を覚悟したのである。そのとき、外から彼を呼ぶ中宗の声が聞こえた。自分を心配してくれる父親の声を聞いた峼は、炎に包まれた部屋から逃げ出した。(ページ2に続く)