光海君(クァンヘグン)と仁穆(インモク)王后はなぜ激しく対立したのか

 

仁穆(インモク)王后は14代王・宣祖(ソンジョ)の二番目の正室である。宣祖と側室の間に生まれた光海君(クァンヘグン)にすれば継母にあたる人だ。それなのに、光海君と仁穆王后はなぜ激しく対立したのだろうか。




世子の決定

14代王・宣祖(ソンジョ)は異質な王であった。
それ以前の13人の王が嫡子(王の正室が産んだ王子)の系統であるのに対し、宣祖は王の庶子(王の側室が産んだ王子)の系統であった。
具体的に言うと、宣祖は11代王・中宗(チュンジョン)の側室が産んだ王子の子供なのである。
自分が庶子の系統であったので、宣祖は世子(セジャ/王の正式な後継者)をぜひ嫡子にしたいと願っていた。
しかし、宣祖の正室であった懿仁(ウィイン)王后には子供ができなかった。
仕方がないので、宣祖は側室の恭嬪(コンピン)・金(キム)氏が産んだ2人の王子……長男の臨海君(イメグン)と二男の光海君に期待せざるをえなかった。




本来なら、長男の臨海君を世子にすべきなのだが、彼は性格と能力に問題があり、二男の光海君を推す声が多かった。
この時点で、世子は光海君に決まってきたのだが、宣祖はまだ嫡子の世子を諦めていなかった。
1600年に懿仁王后が世を去り、宣祖は1602年に仁穆王后と再婚した。
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