1592年4月に始まった朝鮮出兵。当初は豊臣軍が快進撃を続けた。両国の戦力に差が出たのは、鉄砲の存在も大きかった。すでに日本には戦国時代を通して鉄砲が伝えられており、王朝軍の弓矢や槍では相手にならなかったのだ。
変わりゆく戦況
劣勢となった王朝軍。宣祖(ソンジョ)は中国大陸の明に助けを求めた。しかし、いかに明が強大であろうとも、援軍には限界があった。
王朝軍は苦境に陥ったが、この存亡の危機に立ち上がったのが義勇兵だった。
「このままでは国が滅びる。みんなで立ち上がろう」
義勇兵は地の利を活かしたゲリラ戦術で豊臣軍を苦しめた。さらに、救国の英雄が出現した。それが、水軍を率いる李舜臣(イ・スンシン)だった。彼は並外れた指揮能力を持っていて、豊臣軍との海戦で立て続けに勝利を収めた。
このとき、戦力として効果を発揮したのが「亀甲船」だった。この亀甲船は甲板を固い板で覆い、その上に刃を置いて敵兵の乗船を防ぎ、さらに、前後と左右に大砲を装備していた。船首に飾られた龍の顔は、それだけで豊臣軍を震え上がらせた。
明の援軍、各地の義勇兵、そして李舜臣の活躍によって、朝鮮王朝は戦況を覆した。ついに都の漢陽(ハニャン/現在のソウル)を取り戻し、両国は停戦の合意に達した。
戦火がやみ、宣祖は各地の復興に力を注ぐことを誓った。
「民にはとてもつらい思いをさせた。その罪を少しでも償えるように努力しよう」
しかし、停戦の合意は守られなかった。(ページ2に続く)
光海君(クァンヘグン)が仁穆(インモク)王后に復讐された日(前編)