不幸の元凶
文定王后は、我が子を王位に就かせるため、中宗の先妻の息子だった12代王・仁宗(インジョン)の暗殺を何度も狙った。
実際、仁宗は不可解な急死を遂げているが、文定王后が自らの手で毒殺した疑いがきわめて高い。
その末に、我が子が13代王・明宗(ミョンジョン)として即位すると、文定王后は権力を独占し、賄賂を横行させた。
庶民の怒りは凄まじかったが、文定王后は力で抑圧した。
文定王后が政治を仕切った16世紀中盤には干ばつがあまりに多かった。
餓死者が続出したのだが、文定王后は悪政を続けて見殺しにした。
その一方で、自分の一族で富を独占した。文定王后によって、朝鮮王朝はどれほど不幸に陥ったことか。
その責任は本当に大きい。
文定(ムンジョン)王后と鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)が仕組んだ悪行
中宗(チュンジョン)はなぜ文定(ムンジョン)王后の悪行を止めなかった?
正祖(チョンジョ)を悩ませた恵慶宮(ヘギョングン)と貞純(チョンスン)王后!