悲劇の国王
うまくいかない結婚が続き、世子はもはや新しい嫁を持つことに乗り気でなかった。世宗もそれをとがめることはせず、世子に3人の側室をもたせた。すると、世子はその中で権氏(クォンシ)が気に入り、愛を深めていった。
1441年、権氏との間に念願の長男が生まれた。
こうして世宗は念願の世孫を持つことができた。
しかし、長男の出産は難産となり、権氏は出産後数日で亡くなってしまう。彼女は後に顕徳(ヒョントク)王后として王妃に列せられた。
1450年、世宗が亡くなり世子が5代王・文宗(ムンジョン)として即位した。しかし、わずか2年で急死し、長男が11歳で即位した。
それが6代王・端宗(タンジョン)だ。
この幼い国王の運命も悲劇的なものだった。その悲劇をもたらしたのが世宗の二男で文宗の弟の世祖(セジョ)であった。彼は強引に端宗から王位を奪い、さらには端宗の命を奪ってしまった。
すでに亡くなっていたが、世宗が草葉の蔭でどれほど悲しんだことだろうか。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
甥の端宗(タンジョン)から王位を奪った世祖(セジョ)の悲劇とは?
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