朝鮮王朝の金字塔
1418年、太宗はまだ元気なうちに譲位して、青天の霹靂で世宗が4代王になった。
太宗の目に狂いはなかった。21歳で王位に就いた世宗は博学ぶりを発揮して臣下たちから大きな信頼を得た。
1422年に太宗が亡くなると、世宗は完全に独り立ちして次々に庶民の暮らしを向上させる政策を実行していった。
彼の治世で特に際立っていたのは、人事の巧みさである。
世宗は身分が低い者でも能力があれば抜擢して大いに才能を発揮させた。中でも王宮の中にあった集賢殿(チッピョンジョン)は、有能な者たちが集う拠点となり、世宗の政治を支えた。
その一方で、世宗は人事でコネがはびこる悪弊を嫌った。彼の側室の1人が「兄に役職を与えてくださいませんか」と懇願してきたことがあったが、世宗はその申し出をきっぱりと拒絶し、以後はその側室を近づけさせなかった。彼はコネで決まる人事は停滞を生み、行政を混乱させるとよく知り抜いていたのである。
世宗の治世時代には政治、経済、文化が大いに活性化されたが、とりわけ最大の功績なのがハングルの創製である。このハングルは、できた当時は訓民正音(フンミンジョンウム)と呼ばれた。
民族独自の文字の創製は、まさに朝鮮王朝の金字塔であった。
芳遠(バンウォン)が3代王の太宗(テジョン)となる!朝鮮王朝全史2