絶世の美女と称された張禧嬪(チャン・ヒビン)の絶頂期はいつ?

戻ってきた張禧嬪

明聖王后は1683年に世を去った。
すると、再び仁顕王后は人の良さをさらけだす。王のためには寵愛する女性が必要だと考え、張禧嬪(チャン・ヒビン)を宮中に呼び戻すことを粛宗(スクチョン)に進言したのである。
もちろん、粛宗に異論があるはずがない。彼はただちに張禧嬪を呼び戻した。
本来なら、自分を宮中に呼び戻してくれた仁顕王后に感謝して当然なのに、張禧嬪の態度はむしろ逆だった。
ある日、粛宗が張禧嬪をからかうと、彼女はわざとらしく仁顕王后のもとに駆けつけて
「助けてください」と大げさに言った。これは、自分がいかに粛宗に愛されているかを見せつけるためだった。
「王の意にもっと従わなければいけませんよ」
仁顕王后がそう忠告しても、張禧嬪は顔をそむけるばかりだった。




その後は、仁顕王后が張禧嬪を呼んで何かを言いつけても、横柄な態度を示すだけとなり、しまいには呼んでも無視する場合すらあった。
ついに、仁顕王后も堪忍袋の緒が切れた。彼女は人を見る目の甘さを自覚せざるをえなかった。
「あの女はいけません。他の女性をお抱えください」
仁顕王后は粛宗にそう進言した。彼女は遅ればせながら、明聖王后の言葉の正しさをしみじみと実感する羽目となった。
結局、仁顕王后の主導によって新たな側室が選抜された。ここにも仁顕王后の人の良さが表れている。普通、正室であれば側室に嫉妬しても不思議はないのだが……。
わざわざ自分で側室を選ぶ正室というのも、珍しい存在に違いない。
それでも、粛宗は新しい側室にまったく興味を示さず、相変わらず張禧嬪のもとに通った。それほど粛宗は張禧嬪を寵愛したのだ。
朝鮮王朝の歴史を詳しく記した「朝鮮王朝実録」でも、張禧嬪が絶世の美女であったと書かれている。その美貌が粛宗を完全に射抜いたのである。

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