「韓国の家庭に食事を招待されたら、ご飯を少し残さなければ駄目だよ。全部食べると、この人はもっと食べたいんだと思われて、またご飯を盛られるよ。お腹がいっぱいのときは、ご飯を少し残すのが『もう食べられません』という合図になるんだよ」と済州島(チェジュド)出身の母に言われたことがある。それを聞いて私は、「韓国は日本と違うんだ」と感心するしかなかった。
少し残すにはワケがある
日本で食事に招待されたら、料理を残しては申し訳ないと思って、必死になって食べきるだろう。けれど、韓国では残していいという。
むしろ、招待された側が料理を残すことによって、招待した側は「食べきれないほどのご馳走でもてなした」と満足するのである。
実際、韓国の家庭に招待されたときは、母のアドバイスを忠実に守った。というより、テーブルいっぱいにご馳走が並ぶので、とうてい食べきれない。現実的に残さざるをえないのだ。
そういう韓国から日本に来て、日本の家庭に食事に招待されたとする。このときに少しガッカリする韓国人が少なくない。
「軽食でもてなされるとは、自分はその程度にしか思われていないのか」
そう考えてしまうのである。
日本の家庭でも精一杯のもてなしをしてくれているのだが、招待客にご馳走をズラリと並べる韓国から見れば、「軽食」に見えてしまう場合がある。これはもう習慣の違いとしか言いようがない。
韓国の地方をまわる楽しみはやはり郷土料理の美味しさだが、たまに困惑するのは、1人で定食を頼んだときでも、テーブルから皿がこぼれるばかりに料理が並ぶこと。メインの料理以外は無料のサービスなので甘んじて受けるが、食べきれるわけがない。
ふと、となりの席を見る。4人が座っているが、その4人分の料理と、私1人の量がほとんど変わらない。
こちらは1人なので、それに見合った量だけでいいのに、食堂側はそういう計算をしないで、大盤振る舞いに徹する。その結果、食べ残される料理の量は韓国全土ですさまじい規模に達するだろう。
日本的にいえば「無駄」の最たるものだろう。
もちろん、「無駄」は極力なくすほうがいいのは確かだが、見栄を重んじる韓国の習慣がガラリと変わるともなかなか思えない。
文=康 熙奉〔カン・ヒボン〕
構成=「歴史カン・ヒボン」編集部
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