後世の歴史的な評価
1623年、クーデターによって光海君は王宮から追放された。
そのクーデターを主導した仁祖(インジョ)が、光海君に代わって16代王として即位した。
最終的に光海君は済州島(チェジュド)に島流しとなり、そこで18年間生きた後、1641年に66歳で生涯を終えた。
彼は廃位となって島流しになったので、10代王・燕山君(ヨンサングン)と同様に「暴君」と称された。
しかし、歴史研究が進むと光海君の統治が見直されるようになった。
今では、政治的に「名君」だったという評価も出ている。
暴君から名君へ。
後世が歴史的な評価を変える象徴的な例になっているのが光海君なのである。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』。
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