中宗(チュンジョン)はなぜ端敬(タンギョン)王后を守れなかったのか

復縁の話もあったが……

端敬王后は、住まいの裏の岩山にかつて自分がよく着ていた赤いチマ(スカート)を干し、“私はここで元気に暮らしています”と示しました。
これは「赤いチマ岩の伝説」とよばれ、韓国でも夫婦愛を示すよい話といわれているのですが……。
もとはといえば、中宗が夫としてだらしないから起こった話です。




端敬王后を離縁した中宗は再婚しますが、その継妃が1515年に中宗の長男を出産した直後に急死してしまいます。
そのとき、中宗と端敬王后の復縁が現実味を帯びました。中宗としても願ってもないことです。
しかし、最終的にクーデターを成功させた高官の大反対で実現しませんでした。
このときも中宗は指導力を発揮することができなかったのです。
結局、中宗は端敬王后を離縁したあとに一度も彼女に会うことができませんでした。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

中宗と端敬王后について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社)

康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』

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